嗚呼、青春の日々

Instagramを見ていた。
ストーリーで友達が ゆずと狩野英孝がコラボをした、ゆずの栄光の架橋をもじった「EIKOの架橋」をシェアしていた。

シェアしていた動画を見た瞬間
「ゆず、見てえな(≡^∇^≡)」と感じたのは去る二週間前のこと。

なんせわたしは、ゆずが大好きであった。
小学校五年生のときに、大阪ではbaseよしもとという若手芸人の劇場が流行っていた。わたしもハマり、ロザンやらキングコングが好きで、日曜日深夜にあるブラックマヨネーズのずぼりラジオとキングコングのほにゃラジオを毎週リアルタイムで聞いていた。
その待機時間に、FMを聞いていた時に
ゆずの「呼吸」という歌が、流れた。
当時小学生ながら、人生経験があまりないくせに、歌詞の意味もわからないはずなのに、心を奪われてしまった
(呼吸という歌は、失恋のうた)


ゆずは知っていたけれど、ゆず=岩沢厚治の顔しか浮かんでこなかった。昔のゆずの世間イメージは、そんな感じだとおもう。
だから、携帯でゆずを調べた。

稲妻が走った。


北川悠仁めちゃくちゃかっこええ!(ぴえん)」

そこから、ゆず、北川悠仁を好きになった。

ゆずのための貯金と書いたエンジェルブルーのカンカンに
お金をため、お年玉はゆずに費やした。ゆずのラジオ本やら、書き起こされたラジオ台本、ゆずが路上時代発売していたデモテープをMDに入れて違法に販売しているものを入手した。
小学校を卒業したときは、父親に岡村町(ゆずの出身地)に連れていってほしいとせがみ、岡村町に出向き、マツザカヤ前にいき、からっぽの木をみにいった。

とにかく、ゆずがはじめての推し活であった。
ガチで、北川悠仁と結婚できると思っていた。
普通に魔法のiらんどでゆずのBL小説を読んでいた。

中学生になり、パンク、ロックにハマった。
これは、反感を買う話かもしれないが
ゆずの近所のお兄ちゃん感が好きだったわたし。
ゆずでは「贈る詩」や「センチメンタル」、「フラリ」、「始発列車」など ゆずっぽい、近感じのいいお兄ちゃんが作る素朴な歌が好きだったので、NHKオリンピックの歌にゆずが決まり
栄光の架橋」が流れた時、「なんやねん、この歌。悠仁NHKにこの詩をかかされたんや」と友達に話まくっていた。
そこから、気持ちが離れていったが、ベストアルバムを買ったり、悠仁のドラマをみたり、ゆず太郎キーホルダー買うなど、影ながらゆずを応援していた

時は流れ、北川悠仁と身長が同じの夫と結婚し
最初で最後ゆずのライブにいってから15年がたっていた。
わたしが好きなゆずとは、また違った感じのゆず。
ジーパン履いてるゆずではなく、キラキラした衣装に身を包んだ二人。
岩沢厚治は、普通に歩いていてもわからないどこにでもいそうな中年男性になっており、キラキラした衣装に着せられている感じが否めず笑いそうになった。
しかし、相変わらずヘビースモーカーには見えないきれいな歌声。たまに見せるとぼけた表情がおもしろく、かわいくて、たまらなかった。

テレビをみていて、ゆずも変わったなーと感じる。
ライブにバックダンサーを使ったり、テレビたくさんでたり、岩沢厚治作の歌をシングル化していなかったり
綺麗な衣装を着たり。
昔のゆずではないことは確か。曲もアレンジガンガンにつけたり、素朴な感じではないけれど、やっぱり生のゆずをみて思ったこと
「ゆずって最高」「二人最高」「またいきてぇな(≡^∇^≡)」「キラキラした衣装は似合わないよな」と感じたよ。

ボロクソ書いてすみません。よろしくお願い申し上げますd=(^o^)=b